結婚20年目。
そんな節目の年に、旦那が亡くなってしまった。
ラブラブな恋人というよりは、こどもを一緒に育てる同士のような、一緒に旅行を楽しむ親友のような…、そんなわたしの一番の理解者である旦那が急な病に倒れ、わずか10か月の闘病の末、天国に逝ってしまった。
旦那はアルコールもたばこもたしなみ、夜更かしも大好きな人だったけど、これまで健康不安は感じたことがまったくなく、会社の健診も再検査といったことには無縁で、自分自身も身体には自信があった。だからわたしも、ふつうにこれからも一緒に年を取っていくものと勝手に思っていた。
急な病気発症に、驚いたし、なぜ旦那が・・・としか考えられず、検査後の医師からの説明中も誤診ではないかと心の中で考えるくらい実感がまったくわかなかった。そして即日入院が決まり治療が始まったそんな状態におかれても、わたしは「治らない病気はない」と現代の医療に過剰な期待もしていたし、病気は完治するものだと根拠のない自信をなんとなく抱いていた。
そんな根拠のない自信が崩れて現実を突き付けられたのは、医師から延命を望むかを決めてほしいと連絡があったあのときだろう。
わたしたち夫婦は、その時その時に相談しながらいろんなことを決めていた。こどもの進路や家や車などの資産関係、今後のライフプランなど。こうやって思い出すと会話は多いほうだったようにおもう。
そんな一人で決断するってことがなかったわたしが、旦那が相談できる状態でなくなり、旦那の生命を決めなくてはいけなくなったあの瞬間。
今思うと、あの決断から、旦那のこと、こどものこと、今後のこと。急に一家の大黒柱にならざるをえなくなり、心の準備ができないまま、なにもかも自分で決めていかなければいけなくなった…。
医師からの説明でわかってはいたことだが、その日はなんの前触れもなく、おとずれた。
旦那が息をひきとってしまった。
亡くなっ直後、悲しむ時間もなく親戚への連絡と旦那が病院から自宅へ帰るための業者をあたった。
自宅に帰っても葬儀会社やお寺の選定にはじまり、葬儀の会場・祭壇・棺桶の種類、参列者への返礼品から膳など大きなことからこまごましたことまで・・・。夜分にもかかわらず駆けつけてくれた心優しい葬儀会社の担当の方が、「資料をもとに明日の打合せまでに決めといてください」と、優柔不断なわたしに一晩の猶予をくれたけど・・・。自宅に帰って来たわたしといえば旦那がいなくなったつらさやかなしみに泣き、遺影の写真を探すためアルバムを見ながら泣き、子供を育てていかないといけない不安に泣き、旦那の顔をみて泣き・・・。で、結局朝方までかかってしまった。
ちゃんとできたかはわからないが、本当にたくさんの方の力とお知恵をお借りし、滞りなく通夜・葬儀を終えられた。
多くの参列者に、多くの人が別れを惜しんでくれているのをみて、旦那の人柄がでてるなぁ~と実感した。
そんな大切な人を失って、わたしこれから大丈夫なのかと不安になったが、いろいろ深く考えこんでしまいつらくなる夜も時間は流れているし、自然と寝ている。
どんなに悲しくてもお腹はいずれすいてくるし、ちゃんとご飯を美味しいと食べれる。
いずれはなんとかなる。
いつまでも落ち込んでても何も変わらない。
まだまだ悲しみは癒えないけれど、こうやって文字に起こすことで、心の整理をつけつつ、過去の振り返りや、今自分ややらなければいけないこと、そして今後やりたいことやどうなりたいかを、前向きになれるように可視化していこうと思う。
天国の旦那に、わたしの決めることが間違ってないか、確認してほしい。
わたしの思いを「そうだね」ってただただ聞いてほしい。
そんな気持ちもあるのかもね。
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